寄り道する先でのちょっとトシウエの先輩からお借りした本です。


(とりあえず)仮説を立てちゃう → 試してみる → 検証する → 軌道修正する


・・・という定石の、『とりあえず』という導入部分の頼りなさを解決するための、


『まずは仮説を立てないままで現場に行って観察しながら探る』行動観察手法の説明の本なのですが・・・


調査例として挙げた『ワーキング・マザー』の日常生活がいかに大変で限度を越してて感謝されることが圧倒的に少ない不幸せな毎日、であるかが胸に刺さって視点がズレてしまった。


しかし、


おい、待てよ、


『ビジネスマン』って言葉、なんだかなぁ。


女性を相手にするということは、男にとって永遠(!?)に難しいテーマなのかもしれない。
昨日、南大沢という都会に行く機会があった。

イベントは、最近知り合うことができた音大の4年生のコンサート(と、『打ち上げ』と称した食事会&有志によるおみやげワインお披露目)。

めっちゃ高度なテクとハードパンチを要求される選曲で、「いやぁ~、よーやるわー、ほんまにぃ・・・」と、ため息と驚愕に満ちた演奏。

あんなか細い女子のからだの、どこにそんなパワーと情熱が宿っているのか、凡人には只々コウサンするしかない経験となりました。


・・・さてさて本題ですが、


『無駄なく増設された街は、用事があるときは便利だけれども、用事がないと実は歩けない。

(中略)

前から後ろからパラパラめくるだけのファッションカタログ誌みたいな気がしてぞっとする。』


・・・と本書にあるように、たまたま現れたヨソモノの私が、(近所のマクハリではなく)『今、ここで』何かを買うことの必要性はなんだろう?

・・・なぁんて思いが目の前を邪魔して、ウィンドウショッピングすら充分に楽しめなかった。


最近は他にも、JR新宿駅の東口を出てすぐ左側にある『BERG』(ベルク)という飲食店がルミネからの立ち退き圧力に対して戦っているという報道が気になっている。

あんなところにあっちゃ、誰もあそこがルミネの一部なんて思ってない。しかも、あの場所までギャル系ファッションで埋めたほうが良いって思ってんのかい!

・・・という素朴な疑問が浮かんで熟考するにまで至らないわけですが、以前にルミネ側からのマーケティングの立場で書かれた本を読んだときは、全体のイメージにそぐわない、単店で利益を出してなくて『ルミネ』に出店できてることの好イメージをブランド全体のために利用しているに過ぎない店舗は20%の入れ替え対象にされても仕方がない、それは当然であると思っていた。


駅というのは、本当に多種多様な人々が訪れる場所である。

駅前というのも、それとほぼ同意義だと思う。

あまりにターゲットを明確に絞り過ぎた場所作りをされると、なんだか窮屈で居心地がわるい。

こんな風に、こんなことを考えてしまうのは、自分がオッサンになったからだろうか。

たしかにそれは一理ある。

しかし、それだけではない、と言い切りたい。


『頑張れ!』という言葉は好きではないが、

それが自分の中から発せられるとき、

相手に直接的に音響的に聞こえるのでなければ、

自分自身に対しての、『その相手を応援する決意表明』として有効で良い言葉だと思う。


僕(ら)のようなハミ出しモノのための、大切な居場所をキープし続けてくれている店主の方々のために、これからも心の中で『頑張れ!』と言い続けていきたい。

ちょっと大きな活字の本書は、新潮文庫の今月の新刊。
(もちろん文庫版だから書下ろしではない。)


理系の人が無知な読者を想定して易しく・・・

というものは概して上手くいかない、


文系の人が文系の人のために頑張って書いている・・・

そういう方が読みやすい(わかった気になれる)のだ。



が、それは当然、結論へは辿り着けない

 ・・・のも止むを得ない、しかし覗き見すら出来ないよりは、マシ。








最近日記を書いていなかった。

もう既にうっすらと、ここ数週間の記憶に霞がかかってしまった。



おいしいものを食べたり、

自宅の洗面台を修繕したり、

購入後しばらくそのままにしていたKANGOLの帽子をかぶって出掛けてみたり、

翌日のお弁当のために夜間に下ごしらえをしてみたり、

自転車の描かれた安いのが有名なワインを飲んですぐに眠ってしまったり、


・・・していました。




それと、




小学6年からの愛読書、Jo-Joの連載が終わりそうで終わらないことにホッと安心したりしています。
たまに忘れたころに、何か、ガツンと来る『本』を読みたい、という衝動に駆られる。


そんな時、『これだ!』と自分を納得させてくれるのは『空いていたスペースを埋めてくれるパズルのひとかけら』のような作品だ。


幼すぎてわからなかったジミー・カーターの時代、1976~1981年の日本を描いてくれている、ということがそのひとつの例。


JRがまだ国鉄だったころ、5月の春闘の季節にはストライキなるものがあった。

そんなことはすっかり忘れていたのだが、鉄道ダイヤはもとより、路線バスも運行がストップしてしまうという年に一度の行事があったことは微かに記憶に残っていた。

『ストライキ』を報じるTVのニュースを眺めていて感じた『なんかこわい』という肌感覚を思い出したのである。


過酷な日常を、正確に冷徹に力強く刻みつけた本書は『あの頃』の東京をリアルに感じさせてくれる。

たしかにあの時代、僕は生きていたし(たぶん)両親はせっせと働いていたのだろう。

ついに初乗り料金が430円と大台を突破し、プリンセス・ダイアナのウェディングがTVを席巻した1981年、私は小学校1年生だったのである。
池袋ジュンク堂(書店)の営業が、先月から23時までに延長。

そんなわけで何だか煮え切らない今日の帰り道、ふらっと寄ってみた。

しかし、カウントダウン放送の連発で客をアオるやり口の所為で、落ち着いて本を選ぶことが出来ず・・・

最後に地下一階の巨匠コーナーに望みをかけてみたら、5年前に再編集されていた全集のひとつに、見慣れないものがあって手に取ってみた。


(絵がヒドすぎるので同シリーズの別巻に差し替えたが)『ねがい』というタイトルである。


そこはやはり、ねがいと言えども、夢ふくらむような甘い話じゃぁ絶対にない、ということは百も承知。


タイトル作ではないが、氏が49歳の時、1985年に発表された『Rojin』という小編が特に秀逸だった。


事を成すには、人生はあまりに短い。

しかし、健康で美しくあり続けるには、あまりに長いのも人生。

そうだね、そうゆうことだよね。

結構テツガク的。
Amazonをぼんやり見ていた時に、『装丁問答』という本が面白そうだなと思ってクリックしてみて、けどなんだ白黒じゃ意味ないじゃん、ということでガッカリした際に関連書籍としてリコメンドされていたのが本書。

本当にフォントに関しては知識が無さ過ぎて、けどそれじゃぁマズいと焦り続けていて、やっとのことで出会えた入門書。

オールカラーで楽しい、けどわかり始めるにつれ、余計に見返すページが増え続けてなかなか先に進めない。

帰りの電車でしか読む時間はないけれど、結構お腹いっぱいになります。

満足。

駅にて。

2011年1月21日 読書
帰り道、駅や街中、乗換途中の通路なんかで、向こうから美しいひとがやって来るのに気が付くと、こんな衝動(妄想とも言う)に駆られることがあります。




(落ち着いた緊張感のないゆったりとした笑顔で)
「すみません、ちょっといいですか、わたくしこういうものでして・・・」

・・・と、何やら名刺を手渡す。

そこには、何らかの『文筆業』的な肩書が書いてあって・・・




駆け出しの作家さんなんかが自らの体験をもとに人物造形して、半ば私小説的な作品を世に出して知り合いともめるなんてことがたまにあります。

しかし職業作家ともなると、キャラクターのサンプルをどのようにして集めているのかが不思議でなりません。

よっぽどの人間好きでモテ男か、優秀なブレインが傍らに付いているか、地道に取材しているのかのどれかだと想像します。


で、個人的興味を罪悪感ナシに振りかざして見知らぬ他人に声を掛けられるであろうと想像するところの文筆業的な仕事が(もし実際にそうであるならば)羨ましいなぁと考えたりするわけであります。


(獲らぬ狸の皮算用で)宝くじが当たったらどうするか?

・・・なんて考えると、たぶん自分なら文筆業に挑戦してみたい、と思うのかもしれません。



それはさておき、この1964年、すなわち昭和39年に出版された小学校教育書の復刻版は、実体験に裏打ちされたリアリズムあふれるみずみずしい文章で、その本物さ加減が否応なしに押し寄せてくる名著です。


ふりがな付きの親切な構成も嬉しくて、まだ20%ほどだけ読んだところですが、最後まで一気に読んでしまうであろうこと間違いなしな感じがしています。


やっぱり、充実した本物の人生を送らなくては、このような本物の書物を著すことはできないのだろうと思います。

日々の生活を、もっと実のあるものにしていかなければ、いかなることにも応用なんてできないな、と思った夜でした。
年始にNHKで一挙再放送していたので、『2回目ならば何とかわかるかも』と頑張ってみてみた。

遭難時のカニバリズムの例なんかが出てくるが、講義そのものでは例はあくまで例、であって、また次の例が出てきて次の話題へと進んで行ってしまう。

見ているこっちは『おいおいちょっと待て、この件についてしっかり話し合って結論をだそうや!』となって、気が気でなくなってしまう。

だから前回、途中でついていけなくなってしまったのだ。

もちろん今回も全く同じジレンマを感じたわけなのだが、そこはググッとガマンして講義の進行にお付き合いしてみた。



・・・1/4の仕事始め(と言っても賀詞交換に明け暮れるだけだが)と翌日の2日間にわたって、腹痛と関節の痛みと眉間の頭痛に悩まされた。


きっとこの番組が私にもたらしたジレンマのせいだ。




・・・結局のところ、すっかり体調の整った今夜、第9回目、すなわち17コマ目のレクチャーを見ている。

小学5年の頃に本でなんとなく知った『遠くの学校への強制スクールバス登校』問題、すなわち『アファーマティブ・アクション』について熱い議論が学生間で交わされている。

また今回も、あくまでそれはネタであって、講義の中心は哲学的に正義を評価・判断するにはどのように考えるのが妥当かという軸に引きずり込まれていく。


やっぱり自分は、概念よりも事象に興味が偏ってしまうようだ。
・・・買ってしまった。







※本名はステファニーというのね。
吉本興業の『なんば花月』の裏手をウロウロしていると、立ち喰いそば屋風の店の入口に、見慣れないことばが書かれた看板があることに気が付いた。

あんまり気になったものだから、仕事を終えた夜、まだやっているかなぁとの期待と共に近くに舞い戻ると、客は居なかったものの店主のオヤジはまだ営業中な感じを出していたので、躊躇なく中に入ってみた。

かすうどんを頼んでしばし待つ。

うっすらと油分の浮かんだ水面に、見たことのない油揚げのような、そうでもないような物体。

残念ながらもう、味は覚えていない。けれどかすかに覚えているのは、意外にも軽い食感と素朴ながらも好ましい印象。

しかし結局のところそれが何だったのかは、ホテルに帰ってロビーのPCで検索するまでは判らなかったのだった。



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


今日、本屋が提案するエッジな本棚にあった本書に目が止まり、ちらっとめくれば自分のために書かれた本であることが直ぐにわかった。

著者は自分と同世代。

それぞれが持つルーツは異なれど、自分を突き動かす衝動の奥には必ず幼少期の経験があるのだ。

学生時代には、まだそれがよくわからないでいた。

今になってみれば、少しずつではあるが、色々なことが結びつきあって、強まって、やがて子供の頃の記憶に辿り着く。

人生の一面には、それを解明することがテーマであるという側面があるのではないだろうか。
・・・もう少し(あるいはそれ以上)前。

一定期間、美術から遠ざかっていたため知らずにいたのだが、志賀理恵子というフォトグラファーの作品群の前からは、なかなか身体を動かすことが出来ず困ってしまった。

エントランスから2番目くらいの順路だったから、目に焼き付けるつもりでガン見してから次のブースへと移っていった。

他にもなかなかすごい作品が多かったが、一通り巡り終えてみて、やっぱり彼女の写真が一番強く印象に残った。

まだ30歳くらいらしいので、(木村伊兵衛賞は既に受賞している)ますます活躍されることでしょう。
・・・のは先々週。

品川駅から御殿山のセルビア大使館の奥にある原美術館まで歩いたら、想像以上に時間がかかった。

以前に読んだ本で、アンリ・カルティエ=ブレッソンの言う『決定的瞬間』と『構図バランス』、同じようなパターンがほんの少しずつズレなが微妙に繰り返される面白さ・・・などなど、『良い写真』の見どころを学んでおいたのが役に立った。

’70年代の作品は、叙情的なポートレートや風景写真だったが、ここ10年ほどの作品はテーマとなる少ない色の組み合わせが鮮烈に対比あるいは調和するフレーミングだった。

何日か前の日経の紹介欄にも大きく取り上げられていたが、それだけの価値があったと思う。

個人的には、その帰り道に高輪方面まで閑静な高級住宅街を散歩した十数分が面白みのある経験となった。

ロシアの通商代表ビルの先、ソニー社屋の通りまで来ると、懐かしい頌栄女子学院の制服が。

考えてみれば、僕らの時代にかなりの学校の制服が変更になったけど、あれから約20年、それはすなわちずっと変えないでいるところが多いってことだなぁ。

ヤマト運輸

2009年11月10日 読書
<社訓(らしい)>

 一、ヤマトは我なり

 一、運送行為は委託者の意思の延長と知るべし

 一、思想を堅実に礼節を重んずべし


<(恐らく) 経営理念>
ヤマトグループは、
社会的インフラとしての宅急便ネットワークの高度化、
より便利で快適な生活関連サービスの創造、
革新的な物流システムの開発を通じて、
豊かな社会の実現に貢献します。




・・・先週の土曜日のこと。

戦後間もなくから生き延びている、老舗の塩ラーメン屋さんに(それこそ)久しぶり行こうと思って、セガレと自転車に乗って地元の道を走り出した。

無駄に信号機の多い道は、少し混み合っただけで容易にクルマの流れに追い付いてしまう。

そして2tロングの、よく見かけるあの運輸会社のトラックと肩を並べた。

・・・そう、一昔前の職業ドライバーは、自分が払うわけではない燃料代を、ここぞとばかり撒き散らして交差点ダッシュを仕掛けていたものだ。

しかし、本当に時代は変わってしまっていて、ヤマトのドライバーのおとなしいことと言ったら・・・てっきり故障してしまったのかと振り返るほどのか細い加速。

「(そこまで会社の規則が怖いのかい!)」と、驚嘆せずにはいられなかった。

・・・ちょこっと考え直すと、今やドライブレコーダーなるものは当たり前に装着されていて、ローコストドライブをせねば評価に悪影響が出るのかもしれない、と推測。

もしもそうでなければ(別に履歴が残るわけではないのなら)、ヤマト運輸、あっぱれである。

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索